「もうダメかもしれない」から立ち直る方法


仕事でもプライベートでも、ズタボロになって思うこと・・「もうダメかもしれない」。
そんな経験ないでしょうか。はためには一見、成功しているように思えても、当の本人は重い悩みを抱えているようなケースもあるかもしれません。

そんなところからの立ち直り方を見事に教えてくれる記事がありましたのでシェアします。

「あいつ終わったな」の恐怖 野球評論家 工藤公康

kimiyasu,kudo


※画像は記事より引用させていただいております。

ウィキペディアの経歴を参照すると、その華々しい実績の数々は明らかです。以下、引用です。

1985年に初タイトルとなる最優秀防御率を獲得。
1986年の日本シリーズで西武が第1戦を引き分けた後3連敗で迎えた第5戦の延長12回、投手である工藤がサヨナラ安打を記録した。その後西武は息を吹き返し4連勝で日本一。1勝2Sを挙げた工藤はシリーズMVPに選ばれた。
1987年は2度目となる最優秀防御率、最高勝率とベストナインのタイトルも合わせて獲得。この年の日本シリーズでは巨人相手に1完封を含む2勝1Sで前年に続き2年連続MVPを受賞し、名実共にパリーグを代表する左投手となる。しかし、その後故障もあり、一時低迷する。

工藤公康さんと言えば、80年代、全盛期の西武を背負って一時代を築いたエースピッチャーとして有名ですが、その絶頂とも思える時期に深い闇を抱えていたそうです。記事より引用します。

みなさん、自分が死ぬかもしれないと、おののいたことがありますか? 私はあります。あれは西武ライオンズでプロ野球選手として名が売れてきた1980年代も終わりのころでした。「こんなことを続けてたら、あんた死ぬよ」。医者から、そう宣告されたのです。プロ野球選手としてはもちろんのこと、文字通り命さえ危ない、という意味でした。

理由ははっきりしていました。お酒の飲み過ぎです。その飲み方が半端じゃなかったのです。

夜のお誘いは絶えることなく、時間があれば飲み歩いていました。ボトルを次々と空にして朝日が昇るころに家に帰り、昼ごろまで寝てから重い体を引きずるようにして球場へ。そんな毎日でした。2~3年で内臓はボロボロになっていました。

「あいつは終わったな」。そんな声も聞こえてきました。恐ろしくなった私はビールやウイスキー、ブランデーなど酒類をすべて捨て、自宅にこもったものです。

酒びたりだった日々は、私がプロで築いた貯金を取り崩すようなものでした。それがあまりにひどい危機をもたらしたために、私は肉体・知識の両方で“自己投資”することの大切さに目覚めたのです。

30年近く厳しいプロの世界の中で生きてこられたのは、私に最初から自覚やノウハウがあったからではありません。若いころに遊びほうけて人生のがけっぷちに立たされた痛烈な危機感があったればこそです。「ここで生きていきたい」「もっと知らなきゃいけない」というプロ意識はどん底の恐怖感を経て養われました。

プロの世界に長くいられた秘訣がもう一つあります。それは自分自身の「データ分析」です。

私なりの経験を加え“工藤流データベース”を構築していきました。例えばスライダーを狙っている右打者が、狙いに反して直球が来ると、一塁ベンチの上空方向へのファウルになるケースが多いものです。アウトコースを待っているとき、内角に投げられると普段よりも派手によけるものですが、そのよけ方の癖はバッターによって微妙に違うのです。そのほんの小さな動きや反応で打者の狙い球やどこに打とうとしているのかがわかるようになったのです。

30年近くもプロ野球の第一線で戦ってこられた、工藤さんだからこその言葉の重みと説得力です。
生活習慣や技術、分析力を常に改善し続けたからこその結果だったのでしょう。

自分のようなヒヨっ子が偉そうに言えることではありませんが、工藤さんのエピソードは一流選手の意識の高さを教えてくれる具体例だと思います。素質があっても大成しないひともいれば、努力をし続けて大輪の花を咲かせるひともいる。その差は何か。

「自分に投資する」ことの大切さ。また、毎日を大切にして、人並み以上の努力をごくあたりまえに続けること。

「継続こそ力なり」

プロフェッショナルはこうあるべし。ということを教えてくれます。すべてのビジネスマンに参考になるのではないでしょうか。
工藤さんの著書(コチラ↓)も、目から鱗の連続で面白いです。明るいキャラクターな工藤さんですが、読んでみると実はモノスゴイ理論派だとわかります。おススメです。

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